近代ヨーロッパで発達してきた国際法が、何で全世界の国際法になったのか。そして、なぜキリスト教が戦争、国際法、国際政治、国際経済の基礎となり得たのか。イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教などと違った役割を演じ得たのか。それにはキリスト教を理解することが必要なのです。
<本文より抜粋>
キリスト教の本質は何か
キリスト教が広がるにつれ「イエス・キリストは神であるか人間にすぎないのか」をめぐって大論争がおきました。そこで、300人の主教を召集してニケア公会議を開き「イエス・キリストは神である(神と同一)」と決議しました。これがニケア信条です。しかしニケア信条に反する異論は続出し、一向に収まりませんでした。そこでカルケドン公会議で決着がつけられ三位一体説は確認され「イエスは完全な人間であり、完全な神である」というカルケドン信条が採択されました。三位一体説とは、神とイエス・キリストと聖霊は、三つの位格でありながら、一つの実体であるという説です。理論的には難解をきわめ、コーランは三位一体説をストレートに否定しています。
神は自由に意思決定をすることができる
カルケドン信条によれば、人間であるイエス・キリストは神である。神は、天と地と、その間にあるすべてのものを創造しました。法もまた神の創造によるので、自由に変更することもできる。ちなみに仏教では、はじめに法があったと考え、法を悟った者が仏となる。そのため、仏といえども法を変えることはできません。すなわち、キリスト教の神は、全知全能、偏在の絶対者であるから、人間イエスを神であるとするカルケドン信条の意義は創造を絶するものなのです。
国家主権の確立
はじめにヨーロッパは一つであるという概念があった。そして主権、国民、国境という概念とともに出来上がった近代国家が、お互いに絶対的な主権を前提として、対等な国際関係を結びましょう、と。そうした関係から発展したのが近代国際法なのです。ここで重要なのが、カルチャーが同じだったということです。キリスト教だからといって簡単ではありませんでしたが、三位一体説を受け入れたことで、コミニュケーションがきわめて容易だったのです。ところがアジアは一つであるという考え方など、初めからなかったのです。キリスト教は正典が厳然と決まっているが、仏教というのはいくらでもお経をつくっていい。共通の正典がないから、仏教は共通の基盤にはなれないのです。
<レビュー>
大航海時代になると、ヨーロッパ人はどんどん海外へ出ていった。そこで当然、キリスト教徒でない人々、文化の非常に低い民族とか、文化は高いが異教徒である人間とかに出会うことになる。その場合、どうしたかというと、異教徒は片っ端から殺していい、略奪していい、奴隷にしてもいいという態度でした。ヨーロッパ人は南米や北米で先住民族をほとんど皆殺ししたという。
ところが、最初はそれでよかった(語弊はある)が十八〜十九世紀になると、高い文明をもっていても前期的資本が資本に範疇変換を遂げていない国、高い文明をもっていても資本主義として未熟に見える国とぶつかった。そういう国に対しては、反独立国家、反主権国家という概念をもって、不平等条約を押しつけました。それが中国であり、トルコであり日本です。
日本は岩倉視察団を欧米に送り、不平等条約を改正するためには、資本主義国にならなければならないと悟り、法律の大改正・教育の改革・軍隊を訓練し軍備を充実して戦争に勝ち、ようやく欧米各国と同等になりました。
現代国際法の最大の問題は、独立の主権国家になる資格がない国が、あたかもあるように行動していることです。世界各地で起こっている紛争内乱のほとんどは、根本のところ結局そこにたどり着きます。たとえばカンボジアにしてみたら、そもそも選挙が何か理解していない人間が圧倒的に多い。ソマリアではアメリカが食料や物資を送っているのに、その見返りが米兵虐殺ということが起こりました。ソマリアにしてみるとアメリカが口を突っ込むだけ迷惑なのです。
国際法を理解するには、国際間でどういう慣行があったかを理解しなければならない。国際法は根本的に慣習法であって、慣習として確立していなければ、条文は効力がない。ここのところを理解しておかなければならないのです。日本のために政治家をめざすなら、この本を読んで国際法を理解してほしいです。
<目次>
第1章 近代の基礎をつくったキリスト教
第2章 なぜイスラム教は近代をつくらなかったか
第3章 絶対主義の確立から国際法が生まれた
第4章 湾岸戦争で戦争の概念が変わった
第5章 なぜ日本人は国際法を理解できないのか
第6章 アメリカン・デモクラシーの正統性と差別観
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