編集力を身につけると、世の中の見え方が変わる

知識が広がる本

誰もが新聞やテレビ、インターネットなどで自由にニュースが手に入ります。それらの情報はそれなりにしぼられた情報で、ざっと目を通すにはとても便利です。拾いやすいし読みやすい。とはいえ、それらのニュースや記事はナマのものだとおもってはいけません。ニュース報道というものは客観的事実を伝えているとおもいがちですが、決してそんなことはありません。どんなニュースも編集されたニュースなのです。

知の編集工学 増補版 (朝日文庫) [ 松岡正剛 ]

ニュースは編集されているもの
新聞の記事は記者が書いている。記者が書けることは、その事実のほんの一部でしかありません。その事実も「首相、苦悩の決断」とつけるか「首相、いよいよ決断」とつけるかで、情報の表情は一変します。そもそも客観的事実をそのまま伝えることは、不可能なのです。

情報の編集に注目した方がいい
ある抗議デモでおばあさんが転んだ画面のあとに、機動隊員が棍棒をふりかざしている画面がつながれば、その情報の狙いは明白となります。この場合、視聴者は画面の編集の仕方に注目した方がいい。「やらせ」や「フェイク」も勘定に入れて、そうなんだと鵜呑みにせずに情報を判断することが大事なのです。

読ませるための編集力
タイトルやヘッドラインは、ある情報の一部の特徴をしめしているだけのものでありながら、ユーザーをめぼしい「情報の箱」に近づけるためのフラッグなのです。そのフラッグに気を引かれながら、雑誌やテレビという「情報の箱」を次々にあけていく。ようするに、編集という仕組みは人々が関心をもつであろう情報のかたまりを、どのように表面から奥にむかって特徴づけていくかというお膳立てなのです。

<レビュー>
料理も子育ても編集だ
黒澤明はつねづね「映画の本質は編集である」と言っていたそうです。ここでいう「編集」とは、映画作りの最終工程でフィルムを切ったり貼ったりするということだけではなく、シナリオや撮影のキャスティングをふくめて映画そのものが編集的な本質をもっているという意味です。こう考えると、料理も編集であり、子育ても編集です。編集はどこからでもはじまり、編集はいつもおこりうる。イシス編集学校長でもあった松岡正剛の言葉、「情報は、ひとりでいられない」一見気がつかないようなところにも、いろいろな編集力を感じることができます。もちろんこの文章も私の視点で編集されています。

知の編集工学 増補版 (朝日文庫) [ 松岡正剛 ]

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