悲運でも絶望せず、運命の道をひらく

歴史・哲学の本

2024年致知4月号
<特集 運命をひらくものより>
運命をひらくものとは何か?
運命は人が連れてくる、という人がいる。たしかにその面もあるが、人が運命を連れてきても、こちらに力量がなければ、運は逃げていく。根本はあくまでもその人の心の在り方なのです。稲盛和夫がよく引用されたジェームズ・アレンの言葉がある。「人間の心は庭のようなものである。(中略)もしあなたが自分の庭に美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草のみが生え茂ことになります。すぐれた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなくてはなりません」心の雑草を取り除くには、いい人、いい教え、いい言葉に触れることが必須である。

<20代をどう生きるかより>
建築家 隈研吾氏
建築は才能じゃなくて粘り
原先生がサハラ砂漠で野宿をしている時、ご自身の夢や体験談を語ってくれました。「建築っていうのは才能じゃなくて粘りだ」と呟いたのです。この言葉は原先生の師である丹下健三氏の言葉ですが、国立競技場を設計した天才でさえ、努力の大切さを説いています。この言葉が脳裏に焼き付き、「粘っていりゃ、一角の人間に、建築家になれるかもしれない」と心の底から思いました。いまも人生の指針になっています。
人を知らずに建築はつくれない
建築家の仕事は、テーブルの上で図面と睨めっこを繰り広げることではありません。建築を扱うのはあくまで人ですから、あらゆる物事・人に興味を抱き、関わり合っていく中で、思いがけないアイデアが浮かんでくるものです。人間を知らないと、よい建築はつくれない。これはあらゆる仕事に通じる不変の心理だと思います。人生も建築も長距離走です。たとえスタートに出遅れても、いくらでも挽回はできます。だから決して気負わずに、あらゆる物事に興味を持って、行動し続けてほしい。

<一念三千より>
村松大輔氏(開華GPE代表理事)
堀澤祖門(泰門庵住職)対談
仏教と量子力学の融合
堀澤 今までの化学といえば、いわゆる唯物論的科学であり、人間の精神は脳がつくったものであって、脳が機能停止すればそこには何もない。科学的にみれば宗教の教えも霊性も何も証明できないというわけでした。唯物論的科学は仏教を徹底的に叩いてきたのです。ところが量子力学は、仏教界に新しい光が射してきたような思いでした。なぜなら、量子力学は物論的科学を徹底的に叩いています。
村松 量子力学は、分子や原子よりもさらに小さい「素粒子」を扱う学問です。実際は粒のように見えていた素粒子は波でもある不確かで曖昧な存在です。そのような曖昧な素粒子が集まって分子になり、分子が集まって細胞になり、さらに細胞が集まって私たちの体がつくられています。私たちは自分の体を物質だと信じているけれども、量子力学的からみれば実態のない素粒子の集まりであって雲のようにモワモワした曖昧な存在だと言えます。

村松 意識も「フォトン」という素粒子が私たちの意識や感情をつくっていると考えられています。フォトンは意識や感情を載せて発振、もっといえばフォトンの波(周波数)を飛ばしています。「幸せだ」という思いを抱けば「幸せだ」という周波数を飛ばしています。大切なのは、それぞれのフォトンは同じような周波数同士で反応、共振し合う性質をもっていて、実際に幸せな現象を呼び寄せてくるし、逆に「むかつく!」といいう周波数を飛ばせば、腹立たしい出来事になって返ってくるのです。
堀澤 唯物論的科学では、祈って何になるんだと言われていたのが、量子力学によって祈りは意味があるものだと分かりました。これは仏教者として大いに励まされました。天台大師(智顗)に「一念三千」という言葉があります。これは自分が抱いている今の一念に全宇宙、全世界の事象が含まれているという意味なのですが、皆が悪い思いを抱けばこの世界は悪くなっていくし、善い思いを抱けば世界は愛と感謝に満ちていくのです。

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