勉強をしたいと思うと、まずは学校へ行くことを考える。大人も例外ではない。今の社会は、つよい学校信仰というものがあり、94%までが高校へ進学している。学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。独学で知識を得るのではなく、いわばグライダーのように、自力では飛ぶことができなくなるのです。
学校はグライダー人間の訓練所
学校では飛行機人間はつくらない。なぜならグライダーの練習に、エンジンのついた飛行機がまじっていては迷惑し危険だからです。ひっぱっられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重されます。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされ、やがてそれぞれグライダーらしくなって卒業するのですが・・・
何でも自由に好きなことと言われても
グライダーとしては一流である学生が、卒業間際になって論文を書くことになると、これまでの勉強といささか勝手が違います。何でも好きなことを書いてみようというのが論文のため、グライダーは途方にくれてしまうのです。これまでと違うことを要求されても、優秀なグライダーな学生ほどできないのです。先生のところへ相談にきて、あれ読め、これを見よと入れ知恵してもらいめでたくグライダー論文が完成する。卒業論文はそういうのが大部分といっても過言ではないのです。言われた通りのことをするのは得意だが、自分で考えてテーマを持てと言われるのが苦手である。長年のグライダー訓練ではいつもかならず曳いてくれるものがあるので、それになれてしまうと自力飛行の力を失ってしまうかもしれません。
優秀だけれども、一人では翔べない
人間にはグライダー能力と飛行機能力があります。受動的に知恵を得るのがグライダー、自分でものごとを発明、発見するのが飛行機です。両者はひとりの人間の中に同居しています。グライダー能力をまったく失いていては、基本的知識すら学習できません。何も知らずに独学で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいる。しかも、そういう人も”翔べる”という評価を受けているのです。
われわれは花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉を見ても幹には目も向けない。ましては根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれ、根幹に思い及ばないのです。花が咲くにも地下の大きな組織があるからこそです。知識も人間という木の咲かせた花であり、美しいからといって花だけ切ってきて、花瓶にさしておいても、すぐに散ってしまいます。花が自分のものになったのではないことはこれをみてもわかります。新しい文化の創造には根の部分をもっと考えるのが重要なのです。
<目次>
1 グライダー/不幸な逆説/朝飯前
2 醗酵/寝させる/カクテル/エディターシップ/触媒/アナロジー/セレンディピティ
3 情報の“メタ”化/スクラップ/カード・ノート/つんどく法/手帖とノート/メタ・ノート
4 整理/忘却のさまざま/時の試錬/すてる/とにかく書いてみる/テーマと題名/ホメテヤラネバ5 しゃべる/談笑の間/垣根を越えて/三上・三中/知恵
6 ことわざの世界/第一次的表現/既知・未知/拡散と収斂/コンピューター