「民主主義」とか「資本主義」とか大きなしくみの中で、私たちはそれを空気のように当然だと思っています。ところが、そこには矛盾や不都合なことがいっぱいあります。今の日本の家族社会や学校社会、企業社会や官僚社会をみてみても、うまくいっているのかを問うと疑問が残ります。それは私たち現代だけのせいではありません。「民主主義」や「資本主義」が成立してきた基盤や背景に、もともとの矛盾や問題が起源していたんです。
どこに行っても資本主義
今日の社会は、近代がつくりあげた「民主国家」というしくみと、そのうえにのっかって国境をこえて広がった資本主義的な「自由主義」と、そしてイスラム諸国に見られるような「宗教社会」と、そして「工業製品」と「自然環境」のせめぎあいの上に成り立っています。いっとき社会主義の計画経済がソ連、中国、欧米圏で確立され、それなりに拡張もしましたが、結局はこれがなしくずし的に解体され、多くの国が自由資本主義市場を導入して行きました。
安心できるシステムではない
資本主義は安定的なシステムとは言えません。不景気も恐慌もありますし、失業者の群れがなくなることもありません。ケインズも「市場は不安定である」という分析をしています。シュンペーターも「市場経済はほっておけば利潤ゼロの均等状態に向かう傾向をもつ」と言った。だから、「企業家は、つねに創造的な破壊をしつづけなければ生きのびられない。それゆえイノベージョンが必要」と付け加えました。
近代のカギを握るイギリス
世界と日本の見方に欠かせないのが「イギリス」です。イギリスがわからないと、「植民地主義」や「資本主義」の確立がわからないし、ひいてはアメリカのこともわかりません。イギリスこそが近代史と現代史の原点にいます。ところが、そのイギリスはどうもわかりにくい。ブリテンの地にジュート人、アングル人、サクソン人などが上陸し先住民を追いやり、その後もノルマン人などのイングランドの島々に入ってきて結局は「アングロ・ノルマン帝国」となりました。この帝国がイギリスの原点かというと、最初はフランスっぽい国でした。いわばイギリスは北フランスの延長にすぎなかった。そこにキリスト教が定着していき特異な役割をはたしていきます。その後フランスと泥沼の百年戦争をし、イギリスはしばらく低迷するのですが、「英国国教会」という独自の制度をつくってしまったのです。
欧米社会の根っこ
欧米社会の性格として「一神教」をあげることがあります。一神教とは、唯一絶対神を信仰する考え方です。世界には神は唯一神しかなくて、したがってその教えや恩寵に包まれるべきだという考え方です。一神教は善と悪、光と闇、精神と物質、聖と俗というように、多くの価値をプラスとマイナスに分けたがります。その一神教には、ユダヤ教やゾロアスター教もあれば、ミトラス教やキリスト教もあれば、イスラム教もギリシヤ正教もロシア正教もあるわけです。一神教どうしがぶつかるということも、いくらだってありえます。「神の戦争」です。なかでもキリスト教とイスラム教は、互いに一神教であるがゆえに、ずうっと衝突を繰り返しています。
<レビュー>
歴史は「異質の発生」の出会いから生まれます。ブッタもイエスも、親鸞も世阿弥も、みんな異質のかたまりで例外者でした。のちのち評価されるうちに、偉人になっていったのであり、むしろ偉人ではなく異人でした。歴史にはそのような異質や異例や異人があったこと、矛盾、不都合などがまざりあっています。この本では「コーヒーの起源がイスラム神秘主義と結びついている」「ナポレオンはイギリスが大嫌いだった」「エリザベス女王は信長は一歳年上」など、同時代的に共通する話題や問題をヨコやナナメにおりまぜながら、さらに一つの国や二つの地域におこった情報を上下左右に自由に語っており、おもしろく近代史を知ることができます。