「生きているのではない生かさせていただいているのだ」父の口癖だった。「二本ある手のどちらかは誰かの為に使えるように……」これも父の口癖。もの心ついたときからボランティアの仲間に囲まれていた。ボランティアというのは「生き方」なのだということも教えられた。だからといって、ボランティアだけでは生きていけない。安心して「無駄の仕事」ができるのは、生活を心配しないですむからである。だから、決して、立派な「無駄な仕事」ではない。
ボランティアってバランスが難しい
自分の意思で出かけるのがボランティアで、日時場所を指定され、頼まれて行くのは仕事という割り切り方はあるのだが、A町にボランティアで出かけて、隣のB町へ仕事に出かけたりすると問題が起きたりすることがある。A町はギャラが不要、B町はギャラが必要となれば、これは当然のことで、「無駄の仕事」というのはバランスをとるのが結構むずかしいのです。
「頑張ってください」って僕には言えません
ボランティア活動にしろ、なんにしろ、自分ができる範囲内のことしかできないのは当然ですが、とても頑張っている人たちに向かって「頑張ってください」ってどうなのか。悟道軒円玉さんという講釈師の方は事故で記憶と言葉を失いましたが、修行した話を思い出して講釈を続けています。大変な努力をされている方なのですが、「頑張って」と言われ続けているそうです。別の失語症の患者の家族の方の話では、「頑張ってください」とよく声をかけていただくのですが、もうこれ以上頑張れないくらい頑張っているんです。薬害エイズの被害者の方の話では、「頑張ってください」と言われたくありませんが、「一緒に手をつないで頑張りましょう」と言われるならありがたい。悪意で言っている人はほとんどいないので、気軽に「ありがとう」と受け流せばよいことなのです。でも、僕には言えません。
有料ボランティアと無料ボランティア
ボランティアにも「私」のボランティアと「公」のボランティアがあり、旅費を出したり、お弁当を出したりという後者のかたちが増えてきました。かつては自分で交通費を払い、手弁当で行ったものです。ロシアのタンカー「ナホトカ号」の事故で日本海沿岸に大量の重油が漂着したときや、オリンピックの時もそうでしたが、特定の機関がお金を出してボランティアを集めるケースが増えてきました。「有料ボランティア」と「無料ボランティア」と分けるのも妙なものです。ボランティアというのは、本質的にはその人の意思で参加するものであって、頼まれて行くものではなく、雇われて行くものではありません。
ボランティアは無料なだけに、相手に迷惑がかかってしまうこともあります。また、善意でしたことが逆によくない方向に進む場合もあります。割り箸もそうですが、もともと捨ててしまう間伐材を利用して日本の山や森を守ることをしている人たちがいます。ですが、木を伐採し輸入した安い割り箸を売っているところもある。それを割り箸は環境に悪いからと全部を辞めてしまったら、環境を守れなくなってしまいます。被災地に送る救援物資も使い古しのボロボロ衣類やノートが届くことがあるそうですが、善意はありがたいのだけれど、逆にゴミとして処分したり分別作業の手間がかかるそうです。この本ではボランティアの本音が語られています。
<目次>
第一章 ボランティアをする人たちへ
第二章 地球を愛する
第三章 「弱者」か「くせ者」か
第四章 それが当たり前
第五章 正しいか正しくないか
第六章 「死にませんよ」
第七章 小さないい話