
まずは生きてみること
わが国は「豊葦原瑞穂国」とも称して、稲作が国の文化をつくり、国家・社会の平和と繁栄の基とも言われてきました。「農は国の基」という言葉もある通り、国家とわが国の人々の生命を守り、繋いできたものが農業であり、稲作の担う役割は大きかった。農耕生活は開墾や自然災害との戦いでもあり、自ら共同体を形成し、その中心となったのが神社であり、神社は発生当初から公的性格を帯びていた。欽明天皇十三年(西暦五五二)に仏教が伝来したが、仏教は個人の悟りや死生観などを通して国民の間に浸透し、神道は自然崇拝を基として五穀の実りや国の安寧を祈る共同社会の信仰としての役割を担いつつ、神道と仏教は習合していきました。