想像を凌駕する人体のしくみ

知識が広がる本

意外と重い人体。脚は片方だけでも10kg以上あり、腕も4〜5kgもある。私たちは、身の回りにある重さをある程度は正確に憶測できる。ところが自分の体の「部品」だけは重さを感じない。その答えを求めると、美しく精巧な人体のしくみが見えてくるのです。

すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険 [ 山本 健人 ]

視界が揺れない不思議
走っている最中でも道路標識を読むことができる。「ウンウン」とうなずいていも、その頭の動きに合わせて、視界が上下に揺れることもない。ところが、スマートフォンのカメラを目の前に構え、走りながら動画を撮影すると映像は大きく揺れ動き、視聴に耐えられるものではない。私たちの体には「視界が揺れない精巧なシステム」が備わっているのです。

オナラは高性能
私たちが「おならができる」のは、肛門に近づいてきた物体が個体か液体か気体かを瞬時に見分け、「気体であるときのみ排出する」という機能を持っているからです。このようなシステムは、とても人工的にはつくれない。一見すると当たり前のようだが、恐ろしく緻密なしくみなのです。

病気と医学の役割
人体の構造、機能は美しい。一方でこのすばらしいしくみを損なわせる、「病気」という存在がある。病気の成り立ちを理解し、病気によって失われた応力を取り戻すのも、医学の役割です。19世紀の後半、細菌が病気の原因になることを初めて証明したのは、ほんの百年前である。薬を投与する、という一連のプロセスは、現在当然のものとして受け入れられているが、この「当たり前」も長い歴史の中ではごく「最近」のことなのです。

病気と健康の境目
病気とはどういう状態なのか。この答えは意外と難しい。細菌は私たちに病気を引き起こす微生物である。では、細菌が体に入った状態は病気なのかというとそうではない。皮膚や口の中、腸も細菌だらけである。これらの細菌が体に何らかの不具合を起こしたとき、初めて病気と呼ぶことができる。たとえば、黄色ブドウ球菌はさまざまな病気を引き起こす微生物だが、実は健康体でも約3割の人は保有していて、鼻の中や皮膚表面にすんでいる。そのため、治療は「黄色ブドウ球菌を根絶やしにすること」ではない。細菌感染症が治った状態とは、「体に細菌がいなくなったこと」と必ずしも同義ではなく、「細菌はいるが病気は起こしていない状態」なら、治ったといえるのです。

<レビュー>
がんは病気なのか?
「がんか、がんでないか」もまた、単純ではないそうだ。健康な人の体にも、絶えずがん細胞は生まれていて、毎日細胞分裂の過程でがん細胞は現れ、免疫によって排除されるからです。実は亡くなった人の体を解剖すると、偶然に前立腺がんがみつかることがあり、80歳以上では約60%にも及ぶこともある。この前立腺がんは、おそらく不快な症状を起こさず、命を脅かすものでもなかったため、発見されずに宿主が死を迎えた。では、死後に見つかったからといって、「生前は病気だった」と言えるのか。何の症状もなく、周囲の臓器に影響を与えることもなければ、命を脅かすこともないとしたら、そのがんは病気なのだろうか?少なくとも寿命よりも成長が遅いがんであるならば、病気とはいいがたい。普通にがんは病気だと思いこんでいたが、この本を読むと悪さをしないのであればそうとも言い切れない。自然とともに生きるシステムの奥深さに、知的冒険が始まるでしょう。

すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険 [ 山本 健人 ]

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