マスコミからは数々のバッシングを受けながらも、市民のために結果を残し「神戸の隣」と言われていたのに「ここに住み続けたい」という市民が増えた明石市。市長の粗探しをしてなにが何でも辞めさせるという四面楚歌の状況。明石を愛した明石市長として12年の本音トークが語られています。
10歳から明石市長を目指していた
昔から二見町は豊かな漁場で漁をさせてもらえず、貧しい漁村の家庭で育った泉さん。4歳下に障害をもった弟が生まれたのですが、当時は「優生保護法」という法律があり、障害を持つ可能性が高い場合は産ませないようにする法律でした。そのため医者にそのまま放置して見殺しにするように言われました。行政はなにも助けてくれない現実を知り、小学5年生にして社会と闘うことを決め、18歳に東京へ大学進学するときも神戸新聞の明石版を読み、誰よりも明石のことに詳しく知る努力を続けていました。
政治の仕事とは結果を残すこと
子どもの貧困問題で言えば、実際に子どもが満足に食べられるようにするのが政治家の仕事であって「子どもが貧困です」と叫ぶのが仕事ではない。具体的に問題を解決して、子どもを笑顔に変えるところまでが政治家であり市長の仕事です。自分の故郷を「誰にもやさしいまちに変えたい」という信念をもって改革を進めることで、ハレーションが起こり嫌われても、恨まれても市民のために様々な施策を実施。その結果「9年連続人口増」「8年連続税収増」を成し遂げました。
こんなにも自分の人生を賭けて、市長になっていたことに驚きを隠せません。1年目から人事・予算に手を出し、役所から総スカンをくらいマスコミを怒らせました。2019年1月に「火をつけて捕まってこい。燃やしてしまえ」などの暴言が出回りましたが、発言自体はひどいしパワハラ以外何者でもないです。しかし、この会話自体は2017年6月のもので役所はずっと失脚させるために隠し撮りされていた事実も赤裸々に語っています。この著書を読むと、次からつぎへと窮地に追い込まれている状況の中、最終的には市民の暖かい声に支えられて、数々の困難を実現していく、本物の政治家のあり方がここにはありました。
<目次>
第一章 闘いの日々
第二章 議会論
第三章 政党論
第四章 役所論
第五章 宗教・業界団体論
第六章 マスコミ論
第七章 リーダーシップ論