西洋を代表する哲学者であるセネカの人生哲学を学ぶことによって、命ある時間をどのように使えば悔いなき一生をおくることができるのか。東洋生まれのわれわれにも得心のいく部分が多く含まれています。自分の生き方に引き寄せて読んでみることをおすすめします。
賢人は人生を教えてくれる ローマの哲人セネカの人生論 [ 渡部昇一 ]
<本文より抜粋>
ローマを代表する思想家セネカ
セネカは悪名高きローマの暴帝ネロの若き日の先生でした。最後はそのネロに命じられ自殺をしていますが、その死に際が見事であったこと、また著作の数が膨大であったこともあり、ローマを代表する思想家として名を馳せました。ルネサンス以後の西洋人の教養の非常に多くの部分はこのセネカによって形成されているといっても過言ではありません。
セネカが生涯をかけて追及したストア哲学
セネカは政治的な活動もしていましたが、もともと哲学者で、「ストア学派」と呼ばれるものに属しています。キプロスのゼノンという人が最初に唱えた哲学で、「ポルチコ」という建物で講義を行っていましたが、その建物が別名「ストア」といいます。そこで勉強した人を「ストア学派」というようになりました。儒教に通じる思想で「徳」を重んじる哲学であり、「精神と体が完全に調和して一致することが宇宙の法則に一番合った生き方である」とうことを教えたのです。
気高い精神を追い求める
思想家の中で初めて自由意志を哲学の中心に持ってきたのがセネカであると伝えられています。「徳」というものは強い意志と健全な意志によるものであり、意志があるかどうかで、その行為が正しいか正しくないかが決まってくるとセネカは考えました。すなわち、ある行為をしたこと自体がいいか悪いかではなく、その行為が意志に基づいて行われたかどうかで、正邪を判断するべきだとういうのです。死についても、「自殺する力が意志の力の証明である」とまでいっており、自ら死を選択することで無駄死にせず、そこで生を輝かせることもできるということも言っています。これは武士的な一面もあり、日本でも共感できる部分があったため、よく読まれました。
<レビュー>
思想家セネカは人生の短さについて「人間の一生はあまりにも短いため、多くの人はようやくやりたいことの準備が整った時には人生を終えている」「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである」というようなことを言っています。すなわち、ほとんどの人は何もなし得ることができないまま人生の幕を閉じなければならない。なぜならば無意識のうちに大切な時間を満ち溢れる湯水でも使うように浪費しているからだと述べています。
たとえば、テレビの前にちょっと座ると一時間ぐらいあっという間に時が過ぎ、無意識的に大切な時間を浪費してしまいます。財産を守ることには熱心なのに、時間となると平気で浪費してしまうのです。大きな成果を上げた人は、必ず時間の工夫をしています。ストア哲学の二つの観念「オティウム(otium)」すなわち「間暇•暇」と「ネゴティウム(negotium)」日本語では「仕事」とか「交渉」と訳されます。「暇」と言っても仏教でいうところの座禅にあたりますが、ストア派の哲学者の理想は「オティウム」なのです。これを自分に当てはめて、自分の「オティウム」はなんなのか。人生と時間を考えさせてくれる一冊です。
<目次>
第1章 気高い精神を追い求めるーゼノンとストア哲学
第2章 内省に生きるーセネカの生涯
第3章 人生という時間の捉え方
第4章 主体的に生きるための時間術
第5章 この一瞬を真剣に生きる
第6章 賢人は人生を教えてくれる
第7章 悔いなき死を迎えるために
賢人は人生を教えてくれる ローマの哲人セネカの人生論 [ 渡部昇一 ] 価格:1,760円(税込、送料無料) (2024/1/20時点) 楽天で購入 |