人生は修養である。では修養とは何か?身を修めて心を養う。つまり、欲望に惑わされず、心が主となり、正しい道に進み行くこと。明治時代の新渡戸稲造が、自身の体験や名言・古典を交え、「心の力」を育てるために書いた本ですが、進路の決め方、努力の続け方、人との付き合い方など、人生に役立つ考え方がやさしい言葉で書かれており、ぜひ、若い人に読んで欲しいです。
修養 自分を磨く小さな習慣 新渡戸稲造の不朽の名著 (単行本) [ 新渡戸 稲造 ]
平凡な毎日の努力が、非常時に力を発揮する
ふだんの何気ない日々の努力(=修養)が、いざというときに大きな力となります。
大きな問題も、日々の仕事をしっかりこなしていれば、簡単に解決できます。
たとえば桜の花は、春になって急に咲くのではなく、冬のあいだにじっと準備しているからこそ、きれいに咲けるのです。
昔の武士も、戦場で命をかけて戦えたのは、日ごろ木刀で練習を重ねていたからです。
この本では、特別なことをするのではなく、毎日のあたり前のことを大切にする「修養」の考え方を伝えています。
どんなに人に悪く言われても、自分の行いに自信をもち、どんな状況でも感謝の気持ちを忘れず生きていく。
それがこの「修養法(しゅうようほう)」の目的です。
本当の年のとり方とは?
人が「年をとった」と言うとき、それを太陽の回る年数(暦)で決めるのは、身体だけを基準にした考えです。
でも、何年生まれかとか、干支などで年齢を気にするのは、本質ではありません。
本当の「年を取る」とは、自分がどれだけ成長し、変わることができたかで決まります。
たとえば――
去年はお酒で失敗したけど、今年はそれが止んだ。
人の悪口を言っていたけど、今年はそれがなくなった。
人をうらやむクセがあったけど、今年は止んだ。
こうして自分の決心と実行が相伴って、より以上の向上発展が実現してこそ、はじめて「本当に年を重ねた」と言えるのです。
年齢だけでは、人の価値も成長もはかれません。
本当の「青年」とは何か?
人は、『これからやりたいこと・挑戦したいこと(=希望)』がある限り老いません。
過去の成功に満足し、「もうこれで十分だ」と思ったときから、心の老化が始まります。
年齢が若くても、希望や目標を失った人は、もはや「青年」とは言えません。
反対に、『将来に向かってやるべきことがあり、希望抱負を持って行動する人こそ、本当の意味での“青年”』なのです。
また、世の中の悪い情報ばかり集めたり、役に立たない知識に満足するのは、心をにごらせ、若さを失う原因になるので注意が必要です。
何が本当に大切で、学ぶべきことかを見きわめる力が、心の若さを守るカギなのです。
「年をとる」「青年」とは要約
- 年齢だけでは、人の成長や価値は決まりません。
何歳でも、自分を高めようと努力し続ける人は若く、過去の成功にとらわれ、希望を失ったときから老いが始まります。 - 希望を持ち、未来へ進む人が“青年”です。
「まだやるべきことがある」「こうなりたい」と思い行動できる人こそ、本当に若い人です。逆に、年齢が若くても、目標や意欲がなければ老いているのと同じです。 - ふだんの積み重ね(修養)が、いざというときの力になる。
特別なことではなく、日々の努力や心がけが、自分を支えてくれます。だから毎日の小さな行動を大切にすることが重要です。 - 本当に必要な知識を選ぶ目を持とう。
世の中の悪い情報ばかり集めたり、役に立たない知識に満足するのは、心をにごらせ、若さを失う原因になります。
何が本当に大切で、学ぶべきことかを見きわめる力が、心の若さを守るカギです。
