移民と宗教はセットでやってくる

知識が広がる本

国家の前に宗教があった。宗教は古今東西、公然性を伴った対外工作と支配のツールとして、政治的に利用されてきました。日本人の多くが宗教を個人の内心の問題と考える傾向がありますが、安全保障問題に直結する重要政治課題でもあります。性善説的な認識では、悪意に満ちた国際社会の中では生き残ることはできません。宗教は対外脅威と結びつきやすく、目に見えない形で社会が侵食されてしまうのです。「宗教は救済」などと思っていると、取り返しのつかないことになるのです。

教養として知っておきたい 「宗教」で読み解く世界史 [ 宇山卓栄 ]

移民問題は、単なる「労働力の補充」ではすまない

「人口減少対策」として進められている移民問題もそう単純ではありません。歴史を振り返ると、宗教や文化が絡むときにどれほど深刻な摩擦が生まれるかがよくわかります。

16世紀、日本にもキリスト教の宣教師がやってきました。彼らは「救済」という表向きの理念を掲げながらも、人々を協力者や内通者にして情報を収集し、内乱を誘発することさえありました。
豊臣秀吉が「伴天連追放令」を出し、徳川家康も布教を制限したのは、単に宗教への嫌悪ではなく、当時の国際情勢を冷静に読み取り、日本を混乱に陥れ植民地化される危険を察知したからです。

一神教は往々にして「唯一の絶対神」を掲げ、他の異教の存在を受け入れない傾向があります。そこに絶対性が生まれると、共存ではなく対立が起こりやすくなるのです。

中国も宗教を強制

中国も儒教と中華思想が結びつき、その受容を対外的に強制しました。現在もウイグル人のイスラム教徒やチベット人のチベット仏教へ激しい弾圧を加えています。彼らにとって宗教こそが中国に抵抗する最後の砦ですが、そのことをよく知っている中国共産党は、宗教の封殺を最優先事項で徹底して行いました。まさに「宗教文明の絶滅政策」とも言えるでしょう。
中国は宗教がもつ共同体の強さを恐れるからこそ、徹底的に抑え込もうとするのです。

移民をめぐる現代の課題

こうした歴史的事例からわかるのは、もともと宗教は工作活動と支配のツールとして、支配者の政治的便宜性に寄与するところがあります。移民を受け入れるということは「宗教」もセットで入ってくることを理解しなくてはいけません。たとえば一神教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の移民が、日本のある地域で増えるとどうなるのでしょうか。日本の多神教の文化と共存し、お互いを思いやるうちはよいのですが、それを認めない一部の「極端な人達」もでてくることでしょう。一部の過激な人たちは神社やお寺に火を放つことになるかもしれません。「経済的な利益」だけを見て「人手不足だから移民を増やせばよい」と考えると、やがて深刻な摩擦や対立を生むことになります。

移民問題とは、人間の尊厳・信仰・共同体のあり方にまで関わるテーマです。だからこそ、歴史から学び、安易に考えず、長期的な視点で慎重に進めていく必要があるのです。

教養として知っておきたい 「宗教」で読み解く世界史 [ 宇山卓栄 ]


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