地球上には、7000ともいわれる数の言語が存在します。この本はその言語と言語の異質なもの同士が交錯し混ざり合う、まさに1本の線というよりは、広い川のようにはっきりわけた境界ではない世界を描きだしています。他者とともによりよく生きていくためのヒントがみつかるかもしれません。
言語の数は変化する
世界には2019年の時点で7111の言語があるといわれていますが、まだまだ言語学者によって記録されていない言葉が使われているいる可能性があります。しかし、それは言語の数を特定できない理由の一部にすぎず、探求が進むにつれて言語の数は増えていくだろう。けれど、消滅の危機にさらされている言語のリストには約3000もの名を挙げられています。
セルクナム語は愛の語彙が豊富で、トンパ文字は色により意味が異なる
セルクナム語(最後の話者 ケユク)で素晴らしいと思う点のひとつは、愛を表す語彙の豊富さです。年齢や性別、話す人のあいだに親密さや感情の質によって表現が変わるのです。スペイン語では言い表せないようなことがあります。トンパ文字では描く色によって意味が変わります。人という字は、青で書くなら厚着をした人、黄色は金持ち、赤は裸体もしくは不思議な力をもった人だという。
言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである
言語を分けるものとして、分離独立がある。たとえば九州が独立したとして、博多弁を中心に「九州語」が新たに日本語から独立したようなものである。言語とは純粋に差異から区別されるのではなく、社会的・政治的な情勢によっても変わってきます。〇〇方言ではなく、(正当な)〇〇語と呼ばれ、国家語と位置付けられる言語は、往々にして政治的な中心地で中産階級以上の用いることば、マスメディアや教科書で用いられることばが中心になっていきます。
言語とは、当然話す相手がいなくなってしまえば、滅んでしまいます。その反面、政治的な理由により地方が独立して方言が新しい言語になったり、また、逆に統合されて一つの言葉となったりします。日本でもアイヌ語、八重山語、国頭語、沖縄語、宮古語、奄美語、与那国語などが「方言」という解釈だったり、「言語」と見なすべきと議論は分かれています。さらに母国語だけで生きていける国もあれば、複数の言語を覚えないと学ぶことすらできない国もある。著書は複数の言語が交差して生きているとう現実を考えさせてくれる本です。
<目次>
第1章 夢を話せないー言語の数が減るということ
第2章 夜のパピヨンー言語の数が増えるということ
第3章 移民と戦争の記憶ーことばが海を渡る
第4章 ペレヒルと言ってみろー「隔てる」ものとしてのことば
第5章 「あいだ」に、いるー言語の交差域への誘い
第6章 彼を取り巻く世界は、ほとんど無に近いくらいに縮んでしまったーことばの断絶と孤独
第7章 「伝わらない」不自由さと豊かさー複数の言語で生きるという現実
第8章 内戦下、日本語とともに生きるーことばを学ぶ意味
第9章 「韓国語は忘れました」-人にとって母語とは何か
第10章 こうもりは裏切り者か?-他者のことばを使う
終章 複数の言語で生き死にするということー人間性の回復をめざして