険しき困難な道こそ、楽しい道が開ける

知識が広がる本

「知の百貨店」のごとく、文明論、日本学、古今東西の歴史、言語学、英語学、教育論、教育実践など多岐にわたるご論考を示した渡部先生の言葉は、本当の教養とは何かを「知り」、そして「考える」機会になることでしょう。この本では講演と対談の二部構成になっていて、文明論、歴史、そして英語について語られており、興味を惹きつける内容が掲載されています。

学問こそが教養である【電子書籍】[ 渡部昇一 ]

学問こそが教養である
書店には「教養」と銘打った書物がたくさん並んでいるが、教養とは単なるノウハウではなく、教養を身につけるためには真摯に学問をし、そして自分の頭で考えなければならない。そこから自らの行動規範が生まれ、自ずと品格も出てきます。中学以上になると、生徒のあいだに「知力」と「志」の差がでてきます。志として学問をやりたい生徒と、そんなに学問的な知識欲のないものとに確実にわかれてきます。日本では平等主義の美名のもとに機能しなくなっていますが、平等主義というのは、あくまで基本的人権だけであって、能力に平等主義は当てはまりません。

「平等主義」を教育と混同している
今の学校は平等主義に侵されすぎています。「人権の平等」と「能力の平等」とを取り違えているところがあり、低いほう低いほうに合わせようとしています。計算の苦手な子すべてに合わせようと、円周率が「3」でよいという話まで出ました。円周率が「3」でよければ、円と正六角形が同じになってしまいます。英語も同様で、どんどんレベルを落として、簡単な挨拶ができればよいということになり、本を読むという視点がなくなりました。しかし、外国語の習得には二種類あるということを忘れてはいけません。それは、知識人として外国の知識に接触するというレベルと、苦力、すなわち使用人として外国人に使われるというレベルです。ですので、普通の教育を受ける子供と、英語を文法的に徹底的に正確に読み解く意思と知力のある子どもたちを同じ教室におくことは間違っています。おそらく数学でも同じことが言えるのではないかと思います。

日本の近代化の成功の鍵は「正確に読む」
日本では鉄明天皇の頃以来、大陸の文物が入りましたが、それ以来外国語というと読むことを中心にやってまいりました。教育からみた、日本の近代化の成功の鍵は「正確に読む」という努力が学校教育の中心にあった点にあります。例えば、漢文を読む際に、返り点を打ち、送り仮名をつけて読み下すという伝統的な「癖」に見ることができます。外国語を徹底的に分析し、日本語の語順にしてしまうのです。韓国式の漢文読解法は、とにかく頭から漢字をザーッと音で読み下すだけです。ですから大体の意味をつかむにとどまり、テキスト分析的には読めないそうです。中国の留学生も日本に来て、初めて「論語」が分かったそうです。我が国ではまったくごまかしなく読める方法が伝統的に確立しているからなのです。

<レビュー>
ダーウィンとウォレスが共同発表した「進化論」ですが、のちに分かれていきます。ダーウィンの方は最後まで自然淘汰です。自然淘汰というのは、殺されない、生き延びるためだけの少しでも優位であればいいというユーティリタリアン(功利的)な感じです。そして必ず部分進化なわけです。ところがウォレスは、人間の体の進化は非常に早い時期に止まって動かない。非常にステーブル(安定的)である、と。何万年もの間全然動かない。つまり人間の体というのはものすごい古い時代に出来上がってしまい肉体の進化はやめて頭の中だけ進化したのだというのです。世界中で一生懸命チンパンジーをしゃべれるようにしようと努力していますが、実現はしていません。しかし、ものすごく知能が低いと思われていたオーストラリアのアボリジニでも、子どものころから教養ある白人の家庭にやれば、全然白人と変わらない学問ができるようになるのです。

<目次>
I 対話する西洋と日本(ドイツ・ミュンスター大学名誉博士号取得記念講演、日本語訳・江藤裕之)
II 科学からオカルトへーーA・R・ウォレスの場合(上智大学最終講義)
III チェスタトンの最近刊行物について考えること(第12回イギリス国学協会年次コロキウム特別講演、2013年)
IV 英語教育における英語史の効用(イギリス国学協会創立20周年記念シンポジウム基調講演、2013年)
V 新々語源学の理念(上智大学渡部研究室にて、1993年)
VI 教育問題を考える三つの視点(モノローグ・未発表)
VII 「教育」「学校」「英語」そして「学問」(編者との対談)

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