運が舞い降りる一流の生き方

人生を楽しむ本

運にも天のルールがあるのではないでしょうか。地上のことは大抵因果律のルールで説明できるが、運には別の次元の話が加わるようである。そんな運に恵まれた米長邦雄さんと渡部昇一さんの二人の生き方名人の流儀を学べことができます。

生き方の流儀 [ 渡部昇一 ]

<まえがき・本文より>
及ぶ限り眼前の仕事を続ける
渡部昇一さんは若い頃に福原麟太郎先生の著書「かの月」を読みました。昭和19年〜20年までの日本の敗色が顕著になりはじめてから敗戦、そして戦争直後の生活記録です。当時敵国の英文学を教えていたのですが、空襲あり、停電あり、弟子が出征したりする中、平和時の如く勉強を続け授業を続けました。「そんなことをしてこの非常時に何になるのか」と思われたでしょう。しかし福原先生は本職の仕事を及ぶ限りやり続けました。渡部昇一さんは、「自分がこんな非常時に遭うことはなさそうだが、何かあったときは、及ぶ限り先生の如く生きたいものだ」と思ったそうです。今回は東京のホテルの対談中に東日本大震災が起きましたが、自分が今慌てて何をしようと、誰のためにも、何も役に立たない。でも眼前の仕事を続けるのがよいのではないかと、米長先生も同じ気持ちで対談はそのまま続けられました。

天上の幸福を引き寄せるルール
米長邦雄さんも渡部昇一さんも幸運に恵まれた人間のうちに入ることであろう。豊臣秀吉は家来を召し抱えるときに、その男が運のよい者であったかどうかを重んじ、体験的に戦場では運が大事であり、運のよい者たちを近くに置くこと自体が、幸運を招くことを知っていたらしいのです。致知出版社も気がつくと運のいい人たちによる、運のいい人の本をだし、いい運を求める人たちのための出版社になったようです。

無駄に見えることが役に立つ
江戸時代に「詰むや詰まざるや 将棋無双・定規図巧」という詰将棋の本がありました。名人になると将軍家に百題の詰将棋を献上するしきたりになっていたのです。しかし、いくら詰将棋を解いたところで、実践には何も役立たないものでした。いわば、ものすごく難しいクイズのようなものです。しかし、この「将棋無双」「定規図巧」の二百題を解いたものは、必ず四段以上のプロ棋士になれました。米長さんはこの本を18歳の時に解いたそうです。一見無駄に見えることでも、こつこつ続けていると、必ずそれが報われることがあるのです。

<レビュー>
日本の思想の非常にユニークなところは、心というものがあって、心の玉みないなものだと考えるのです。そして、その玉を磨く「磨き砂」は、儒教でも、神道でも、仏教でもよいと思っています。要するに、心を磨ければ何でもよいというわけです。これはすごい発想で、外国の宗教にはありません。仏教なら仏様の道であり、神道なら神様、儒教なら孔子様、キリスト教ならキリスト様、イスラム教ならマホメット様ですが、その教えはバラバラで互いに矛盾しているところもあるかもしれませんが、皆いいことを伝えています。これを玉のほうから見れば、役に立つなら何を使って磨いてもよいということになります。こういう発想が日本人にはあるのです。しかし今の教育は心を磨くというより、知識を詰め込むようになってしまいました。二人の対談は、このような思想や教育、経営の秘訣、健康から金銭哲学など生き方の流儀を語ります。

<目次>
第1章 『人間における運の研究』その後
第2章 生涯現役の人たちの共通項
第3章 若くして学べば壮にして成すありー青少年期の過ごし方
第4章 一歩抜きん出る人の仕事の流儀
第5章 いかにして財を為すか
第6章 夫婦のあり方ー家庭の流儀
第7章 老・病・死に対してー老いの流儀
第8章 一流への流儀

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