東京裁判では無理やり日本人を裁くために、いわゆる「他国を侵略をした」ということにしたかった。国際法に基づいた法律ではない、事後法で日本人を裁きました。最終的には日本もこの内容を“受け入れました”が“受諾”したのではありません。これは非常に重要です。法治国家ですので、判決だけを「受け入れた」のです。東京裁判で縷々述べられたインチキ物語を受け入れる必要はないのです。
東京裁判は、裁判なのか?
裁判をするには次の三つの要件が満たさなければならない。
第一に裁く根拠となる法律がなければならない。
第二に裁判官は公平でなければならない。
第三に被告に対して弁護人と検事がいなくてはならない。
ところが、東京裁判において満たされた要件は、第三の被告に対して検事と弁護人がいるという一点のみであった。
第一の裁くための根拠となる国際法が根拠だと思われているが、まったくの無関係。
連合国軍最高司令ダグラス・マッカーサーの命令で参謀部と検事が作り上げた「東京裁判条例(憲章)」であった。ようするに事後法によるもので、普通の裁判では、まず法律があり、事件を法律に基づいて裁く。しかし事後法では、たとえば事件があって、それを裁くための法律をつくるため、公正性に疑問があった裁判であった。
第二の裁判長と判事はすべて戦勝国の人間であった。本来であれば公正を保つのであれば、半分を敗戦国側からも出さなくてはならない。開会の宣言では、「被告たちが従来、保有していた地位がいかに重要なものであったとしても、このために彼らが最も貧しい一日本兵卒、あるいは一朝鮮人番兵などが受ける待遇よりもより良き待遇を受ける理由とはなりません」で始まったことから、すでに公正性は無かったことがわかる。
ポツダム宣言は条件付き降伏
ポツダム宣言の受諾は、日本は無条件降伏をしたことの証明のように受け取られるが、それは誤りです。日本は無条件降伏したのではなく、条件付きで降伏した。まさにその条件を定めたのがポツダム宣言なのです。では、なぜ日本は無条件降伏したと考えらるのか。
第三条にはこうある。
我等は日本国政府が直ちに全日本国軍の無条件降伏を宣言し、かつ右行動に於ける同政府の誠意につき、適当かる充分なる保証を提供せんことを同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす
文面をよく見ると、「全日本国軍の無条件降伏を宣言」である。それを「日本国政府が宣言する」ことが求められている。日本軍に無条件降伏をさせることを、日本政府に要求しているのです。
ドイツは無条件降伏をしたが、日本は条件付きで降伏した
ニュルンベルク裁判と東京裁判は根本的に成り立ちの過程が異なる。
ニュルンベルクにおいて「平和に対する罪、人道に対する罪」で起訴し、被告を裁いているからといって、それを東京裁判でも同様におこなうことはできない。
東京裁判において裁けるのはポツダム宣言の中に述べられている戦争犯罪のみであり、1945年7月の時点の国際的に認められていた戦争犯罪だけではないか」と清瀬弁護人は問いただした。
戦争では人殺しをしても罪に問われない
アメリカ人の弁護人も、戦争を犯罪とする学説はどこにもないと指摘した。宣戦布告をした途端に通常の論理は通用しなくなり、戦争のルールが適用されることになる。そのため、戦時国際法がわざわざ定められている。国家は戦争権(開戦と交戦の権利)をもっており、その講師は国際的に合法なのである。したがって平和に対する罪を問う根拠もないし、裁くことはできない。
捕虜虐待や民家の略奪、民家への爆撃などは通常の戦争犯罪であるから罪を問われるのは当然である。しかし、戦争を始めるかどうかを検討したり、その準備をすることは犯罪ではないし、裁く権利は誰にもない。というのが清瀬弁護人の論点であった。
これに対し、ウエッブ裁判長は「後で答える」というだけで、明確な答えを出さないまま裁判を進めた。ついには判決の時まで裁判官轄権を明らかにせずに裁判を行ったのです。
どうしても日本人を東京裁判で裁きたかった
東京裁判では、日本が侵略戦争を始めた年はいつなのかという問題が焦点となり、結局1928年1月1日と定めた。つまり「満州事変を侵略戦争とする」といことなのだが、これも疑問が残る。
当時の国際連盟はすぐにイギリス人のリットン団長とした、いわゆるリットン調査団を送り込んだ。三か月かけて調査をしたレポートを精読してみても、「これはある国が隣の国へ攻め込んだというような簡単な侵略とは言えない」と結論付けた。
つまり「侵略ではない」といってるのですが、東京裁判では、満州国皇帝溥儀を引っ張り出して偽証させてまで侵略戦争に仕立て上げた。そうしなければ、東京裁判で裁くべき問題がほとんどなくなってしまうからであった。
南京大虐殺もアメリカが原爆や空襲による日本人虐殺をぼやかすために作られたのではないか。東京裁判の時、弁護団は「当時の資料によれば、落城前の南京の人口は20万であるが死亡者の数は30万。また、それから1か月ぐらいあとの南京の人口を調べてみると25万人となっている。こんな魔術のようなことができるのか」と説いた。
ぜひ、再販してほしい一冊
【中古】「東京裁判」を裁判する/致知出版社/渡部昇一(単行本)
