何を残して何を進めるのか

歴史・哲学の本

<特集>拓く進む

「拓く」とは、誰も歩いていない道に最初の一歩を置くこと。
「進む」とは、その道が本当に合っているのか分からなくても、雨の日も風の日も歩き続けること。

この二つを、人生そのもので証明した日本人科学者がいます。


まず一人目は、坂口志文氏。
免疫細胞と聞くと、「悪者をやっつける正義のヒーロー」を思い浮かべますが、時々やりすぎてしまう。ウイルスだけでなく、自分の正常な細胞まで攻撃してしまうことがあったのです。
そこで注目されたのが制御性T細胞
免疫の世界で暴走を止める調停役”のような存在です。

しかし、この細胞の正体を突き止め、世界に認められるまでには約20年
普通なら「成果が出ない」「評価されない」と研究室を去ってしまうでしょう。
それでも坂口氏は、毎日同じ問いに向き合い続けました。

まさに、「拓く進む」人生でした。


もう一人は、北川進氏の「多孔性金属錯体」
言葉は難しいですが、イメージとしてはジャングルジム。
スカスカなのに賢くて、「この気体はどうぞ」「これはお断り」と選り分ける。

この素材を使えば、何もない空間から特定の気体だけを集め、貯め、濃くできる。
エネルギー問題や環境問題の解決につながる、まさに未来を拓く素材です。

けれど、この発想も最初から評価されたわけではありません。
「そんな都合のいい材料があるわけない」
そう言われながらも、試して、壊して、また作る。
今日も進む。明日も進むの果てしない繰り返し。

そんな二人が一致している大事な言葉がある。「運・鈍・根(うん・どん・こん)」である。

──真摯に学び、取り組み続けた人の前にだけ、たまに顔を出すもの
──周囲が「もうやめたら?」と言っても、気にせず続ける鈍感力
──成果が出なくても、地中で根を張り続ける粘り強さ

才能でも、ひらめきでもなく、「普通の人ならやめていたことを、やめなかった」それだけが共通点だったのです。

一生挑戦 一生勉強 河合満氏

僕がトヨタに入社したのは1966年。
今では世界のトヨタですが、当時は本社工場と元町工場のたった二か所
国内では日産自動車に次ぐ二位の存在でした。

それでも現場には、不思議な確信がありました。
「本気で一位を目指せば、必ず届く」
その空気を支えていたのが、創業者・豊田佐吉の言葉です。

「百忍千鍛(ひゃくにんせんたん) 事(こと)遂(つい)に全(まっと)うす」
百回耐え、千回鍛えれば、物事は必ず成し遂げられる。

この言葉通りの現場に身を置き、「夢は努力で現実になる」
それを体験できたことは、今振り返っても本当に幸せだったと思います。


トヨタがここまで成長できた理由は、はっきりしています。

知恵と改善、人間性尊重を重んじる「トヨタウェイ」というモノづくりの精神と「トヨタ生産方式」という、モノの造り方。

この二つを土台に、
とにかく改善、改善、また改善
ムダをなくし、生産性を上げる。
派手な改革ではなく、地味な積み重ねなんです。

当時、現場でよく言われていた言葉があります。
「金は使うな、知恵を使え」

設備を買う前に、まず頭を使え。
現場には、必ず答えがある。
それがトヨタの考え方でした。


トヨタ生産方式を一言で表すなら、こうです。

「モノは、売れた速さで形を変えながら流れていく」

逆に言えば、
形を変えていない時間は、どれだけ動いていても付加価値はゼロ

この意味を、僕は現場で痛いほど教えられました。

当時、完成部品を1パレット50個ずつ箱詰めし、
二箱たまったら次工程へ運ぶ、というやり方をしていました。
ところがある日、鈴村喜久男さんにこっぴどく怒られたんです。

正直、理由が分からずモヤモヤしました。

すると翌日、張富士夫さんが現場に来て、こう説明してくれました。

「ここに完成品があるとする。
でも、お客様が店に来たときに商品がなかったら、どうなる?」

「帰ってしまうだろう。
なら、出来上がったらすぐに店に出すべきなんだ」

「二箱たまるまで待っている間に、
お客様が帰ってしまうかもしれない。
だから一箱できたら、すぐ次に流す。
それがリードタイムを短くする、ということだ」

現場の動き一つが、そのままお客様までつながっている。
こうしてトヨタ生産方式は、理屈ではなく体験で現場に浸透していったのです。


ただし、いきなり生産方式を導入してもうまくいきません。
その前に必要なのが、整理・整頓

きれいにするためだけではありません。
正常と異常が一目で分かる状態をつくるためです。

そして大事なのは、
「一部のリーダーが頑張る」のではなく全員が同じ意識を持つことです。

そのためにあったのが、従業員が業務改善を提案する「創意くふう制度」

改善内容を定量的に書き、効果が出れば賞金がもらえる。
最低でも500円。時には、残業代より稼いだこともありました。

一番思い出に残っているのは、
2時間かかっていた作業を、9分にしたことでした。


「なぜ? なぜ? なぜ?」
「どうしたら、もっと良くなる?」

この好奇心と探究心、問題意識を持っている人ほど、
創意くふうや改善に夢中になります。
そして不思議なことに、
そういう人は仕事だけでなく、人間としても成長していく

改善とは、単に効率を上げる技術ではありません。
人を育てる文化だったのです。

トヨタの強さは、工場の大きさでも、設備の豪華さでもない。
一人ひとりが「もっと良くしたい」とおもい考え続けた、
その積み重ねにあったのだと思います。

「保守」と国語 占部賢志氏

「保守」と聞くと、どんな姿を思い浮かべますか?
頑固、古い、変わらない。
政治の世界では、自民党は保守、立憲民主党はリベラル――
多くの人が、なんとなくそう理解しています。

ところが、少し視点を変えると風景は一変します。

「読売新聞」と早稲田大学の共同調査によれば、
18~29歳の若い世代はこう見ているというのです。
憲法改正に前向きな自民党や維新の会を「リベラル」、
戦後体制を守ろうとする共産党や公明党を「保守」だと。

同じ日本、同じ政党。
それなのに、世代が変わるだけで意味が真逆になるのです。

この時点で、私たちは気づきます。
「保守」という言葉は、すでに人それぞれなのだ、と。


そもそも、保守とは政治イデオロギーなのでしょうか。
実は、そうではありません。

保守とは、
「長い歴史の中で洗練されてきた“生き方の流儀”」のことです。

特別な思想でも、難しい理論でもない。
毎日の暮らしの中で育まれてきた文化、
先人たちが試行錯誤の末に残してくれた知恵、
それらを「これは大事なものだ」と受け取り、次へ渡していく姿勢なのです。

地味で声高に主張することもありません。
けれど、静かに、確実に、時代を越えていく力を持っています。


そんなことを考えていると、
ルーマニアの詩人、エミール・シオランの言葉が思い浮かびます。

「仮に国が滅びたとしても、
国語さえあれば民族としてのアイデンティティは失われない。
祖国とは国語なのだ」

一瞬、過激にも聞こえますが、詩人の誇張ではありません。
歴史が証明している事実なのです。


ユダヤ人の国イスラエルは、紀元前に一度滅びました。
国土を失い、人々は世界各地へと離散します。
普通なら、民族として消えてしまっても不思議ではありません。

それでも彼らは、
祖国の言葉であるヘブライ語を守り続けました。

そして約1800年後。
第二次世界大戦後、イスラエルは再び国家として建国され、民族は再結集します。

建物も、制度も、国境も失われた。
それでも復活できたのは国語があったからです。

それこそが、最も深い意味での「保守」だったのです。


保守とは、
変わらないことを守る姿勢ではありません。

変わり続ける時代の中で、
何を変えてはいけないかを見極める力。

それは政治だけの話ではなく、
会社にも、地域にも、家庭にも通じます。

新しいことを始める前に、
「私たちは何を大切にしてきたのか」
その問いを忘れないこと。

声は小さくても、
歩みは遅くても、
積み重ねた時間は、やがて人と人を再び結びつける。

保守とは、
未来のために、なにが大事なのかの選択なのかもしれません。

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