2025年致知2月号
<特集 2050年の日本を考える>
梁瀬次郎氏は元総理の吉田茂氏からの質問された「日本は何の資源もない国だ。その国がたった19年でこれだけの復興を遂げたのはなぜだかわかるか」即答できないでいると、「日本には何の資源もないが、たった一つだけ資源があった。それは日本人の勤勉性という資源だ」梁瀬氏は思わず膝を打って納得した。渡部昇一氏は「どんな国難が迫ってきたとしても、日本のアイデンティテーが確立されていれば、怖いものはない。言ってみれば、アイデンティテーをなくすことが最大の国難なのである」では、日本人のアイデンティテーとは何か。渡部氏は「皇室」だと答えた。実は60年間で約180の国が消滅している。国もその国をたらしめているものを守ろうとする気概を国民がなくした時に滅びるのである。
過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。過ちて改めざる、是を過と謂う。
數土文夫氏
孔子は日頃から、人の真価はその言っていることだけではなく、その行動を観察して問われるべきだとしました。いくら口で立派なことを言っていても、それが実践できていなければ、その人物は評価に値しない。「仁」「義」は人の一生において、死活的に重要ですが、「仁」の基本は「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」であり、「義」の基本はその実践に利己的な「勇」が伴う。「勇」なくして「義」を口にするのは偽善であり、過ちだと説いています。また、それ以上に自分の過ちを改めることなく繰り返す、これこそが本質的な過ちだとも言っています。
「明治に学ぶ2050年の日本をひらく道」
藤原正彦氏
日本には古来、他のどの国にもない誇るべき美質がありました。それを忘れて欧米の思想や考え方に迎合し飼い慣らされてしまったことが、現代における様々な混乱の一番の要因と考えます。大正デモクラシーを謳歌していた頃、ロシアに革命が起きると共産主義に浮かれ、昭和に入り軍国主義が台頭すると軍国主義やナチズムに浮かれ、戦後はGHQの占領史観に染まり、近年はアメリカ初のグローバリズムを金科玉条の如く信奉しています。そして1980年代から日本に浸透してきたのがポリティカルコレクトネス、いわゆるポリコレの風潮です。社会の差別や偏見をなくすことこそが人類の最上なことである、という極端な人権思想です。重要なことに違いはありませんが、差別や区別の違いがよく分からない上、各国の文化や伝統など、人類には他にも重要なことがいくつもあるにもかかわらず、染まってしまっている。
欧米の民主主義を支えてきたものは、自由、平等、人権の精神です。ところがヨーロッパでもっとも差別が酷いのがフランス革命を起こした当のフランスです。アメリカやイギリスで生活をしてきた私ですが、あからさまな差別を受けた国はありませんでした。自分の権利を押し通し、他人を誹謗中傷する自由ばかりが幅を利かせた社会に、平和や人々の安寧が訪れるはずはありません。この自由、平等、人権の精神の本質は「自由だ、平等だ、人権だ」と外に向かって叫び相手に要求するものです。一方、日本の美風、例えば武士道精神の中心となる惻隠、もののあわれ、誠実、礼節といったものはすべて自分の内側に静かに語りかけるものなのです。欧米の人権思想と日本人古来の美徳の根本的違いはここにあります。
「自由だ、平等だ、人権だ」と外に向かって叫ぶことは、そのまま戦いの思想となり、自己を正当化するための理論が必ずそこには伴います。欧米の植民地化にも、ロシアとウクライナの戦いにも、それぞれ論理があります。しかし、自己を正当化する論理がぶつかり合う限り、戦争が集結を見ることはありません。論理の衝突を防ぐ方法は一つ。心の内に向かって静かに語りかけることであり、それは即ち日本古来の精神に立ち返ることなのです。
日本語なくして日本人なし
齋藤孝氏
大半の日本人は、日本語は水や空気のように存在し、当たり前に受容できるものだと捉えているのではないでしょうか。しかし世界を見ると、少数言語は常に存続の危機に直面しています。人類の歴史を振り返ると、小国が大国に呑み込まれたり、言語が置き換えられたりした例は枚挙に遑がありません。例えば中国の新疆ウイグル自治区では、ウイグル人に対して学校や職場で中国語を強要する言語圧殺が行われています。既に学校で中国語を強制的に身につけさせられた子供たちは、教育という名の下に人間性まで捻じ曲げられ、中国語を話せない両親や自民族を馬鹿にしたり敵視したりするようになっているといいます。言語は民族にとって最重要のものであり、いわば生命線なのです。
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