日本人の根っこには武士道と儒教、そして和歌があった

歴史・哲学の本

2026年致知2月号

<特集>先達に学ぶ

本誌は、まことに幸運なことに、多くの先達の言葉に導かれてきた。その中でも、特に心に刻まれている五人の言葉を紹介したい。いずれも時代も立場も異なるが、共通しているのは「人間はどう生きるべきか」という一点に、真剣に向き合っていることである。

まず、二宮尊徳。
「それ我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とする。心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂うるにたらざるが故なり」

尊徳の言葉は、農政家の発言でありながら、実は教育論そのものである。土地の開拓よりも先に、心の開拓がある。人の心が荒れていれば、どれほど土地を耕しても国は立たない。だが、一人でも心の荒地が耕されれば、その人が周囲を変え、やがて社会を変えていく。問題の根は外ではなく内にある――その洞察は、現代にもそのまま通じている。

次に、安岡正篤。
「人間は学問修養をしないと宿命的な存在になってしまう。よく学問修養すると自分で自分の運命を作っていくことができる」

ここでいう学問修養とは、単なる知識の蓄積ではない。人間学を学ぶこと、すなわち「人としてどうあるか」を問い続けることである。学ばぬ人は環境に流される。学ぶ人は、運命さえも引き受け、自らの手で道を切り開く。知識が人生を変えるのではない。人間としての深まりが、人生の舵を握らせるのである。

森信三はこう語った。
「天の封書を開いて生きよ」

人は生まれたとき、天から一通の封書を受け取っている。その中には、その人だけの生き方が書かれているという。では、その封書を開くとは何か。それは、全力で生きること。そして他人のために尽くすこと。この二つに徹したとき、人は初めて自分の使命に触れる。生きがいとは、探すものではなく、燃やし尽くした先に現れるものなのだ。

平澤輿は言った。
「生きるとは燃えることなり」

ただ年を重ねるだけでは、生きているとは言えない。どこまでも成長し、自分という存在を磨き続ける。その過程で、人は自分だけの「味」を持つ。失敗も苦悩も、すべてが人間の深みになる。燃え続ける者だけが、人生を濃く生きることができる。

そして坂村真民。
「体の中に 光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみの中にあっても
光を消さないでゆこう」

さらに彼はこうも言う。
「よい本を読め よい本によって己れを作れ
心に美しい火を燃やし
人生は尊かったと 叫ばしめよ」

人生には暗闇が訪れる。だが、そのとき外に光を求めるのではなく、自分の内に灯を持てという。よい本に触れ、よい言葉に触れ、己を鍛える。そうして最後に、「生きてよかった」と叫べる人生にせよ――その願いが響いてくる。

これら五人の言葉は、方向こそ違えど、同じ一点に収束する。
人の人生は、外の成功ではなく、内の充実によって開かれるということである。
私たちは、その姿勢に一歩でも近づきながら、人生を歩んでいきたい。

「明治を創ったリーダーたち」 藤原正彦氏 中西輝政氏

中西輝政は、日本が明治維新後に急速な近代化を成し遂げ、西洋列強に伍した理由をこう見る。
それは、江戸時代に蓄積された日本文化という巨大な土台があったからだ、と。

今の日本と明治を重ね合わせ、“経済大国”などと言いながら、もはや手放しで喜べない体たらくのこの時代を見るにつれて、現代人は明治を「永遠の模範」自らを映す「時代の鏡」としてしっかり対峙していかなければいけない。その上で「日本かくあるべし」という議論を重ねなくてはいけない。という思いを強くなるようになりました。

藤原正彦もまた、江戸の文化の厚みを指摘する。
浄瑠璃、歌舞伎、講談、俳諧といった芸能。関孝和らによる和算の発展。国学の興隆。本居宣長や賀茂真淵は、日本人の精神の核心に迫ろうとした。つまり、日本は西洋文明を受け入れる以前から、すでに高度な精神文化を持っていたのだ。

武士は儒学を学びながらも、「それだけではない、日本には国学がある」と自らの根に立ち返った。さらに陽明学を取り入れ、行動と実践の哲学を身につけていく。
その精神の頂点が、日清・日露戦争を戦い抜いた人々の姿だった。

武士道の核である惻隠の情、誠実、正直、勇気、卑怯を憎む心。これらは武士だけのものではなく、町人や農民にも広がっていた。寺子屋や藩校の教育は、人としてどうあるかを教えた。だからこそ、日本の兵士は単なる兵力ではなく、精神力で戦ったのである。

しかし、日露戦争の後、日本人は徐々にその精神を失っていきました。
武士道は「当たり前のもの」であったため、一高(東京大学教養学部の前身)の教育から武士道や儒教を排除して、西洋の文物ばかりに切り替えてしまいました。

一高で欧米式の教育を受けた志賀直哉、芥川龍之介、和辻哲郎といった人たちは、たちまち西洋に惚れ込んでしまい、彼らを中心とした欧米崇拝の文化は大正デモクラシーへと繋がっていくんです。西洋の文物ばかりが取り入れられた。結果として、ロシア革命が起きると、共産主義に染まり、昭和の初めにはナチズム、その後は軍国主義にいかれて、戦後になるとGHQ主導の戦後教育、さらにはグローバルにいかれてしまいました。拠って立つ精神の軸が揺らぎ続けた。

だからこそ今、明治は「過去の栄光」ではなく、「時代の鏡」として見直される必要がある。
日本はどうあるべきか――その問いをもう一度引き受けなければならない。

人生を拓く東洋古典の名著 安田登氏 境野勝吾氏 白駒紀登美氏

白駒「四書五経」などの中国の古典は、若い人の心を育む上では欠かせないものですが、和歌にもっと親しむことが日本人にとって大切だと考えています。志を育てるのが古典なら、感性を育てるのが和歌である。志と感性。その両輪があってこそ、人は深く成長する。若い世代がバランスよく身につけていけば、日本、そしてこの星の未来は明るいものになると信じています。

境野 中国には歴史書はたくさんあるが、勅撰和歌集は唐代までなく、どれだけ日本は和歌を特別なものとしていたかが分かります。中国最古の詩集「詩経」の序文に「詩の志の之く所なり」とあります。つまり自分の“志”を言葉に表現したものが詩歌であるいっています。一方、和歌は、平安時代の歌人・紀貫之が書いたとされにされる「古今和歌集」の仮名序に、「やまとうたは、ひとのこころをたねにして、よろづのことの葉とぞなれりける」とあるように、様々な感情が湧き起こる“心の種”から生まれるといっているんです。志と感情。この違いこそ、日本文化の特質である。

また、カトリック大司教を務められたヨゼフ・ピタウ先生は、私が学長室まで会いに行くと、「聖書」の横に兼好法師の「徒然草」が置いてあり「この本はすごく面白いよ」とおっしゃるんです。ところが日本の学生は誰も読んではいない。日本ではどうしてこんなによい本を学生、子どもたちに教えないのか・・・。このピタウ先生の言葉も、日本の古典に目を向けていく大きなきっかけとなりました。

安田 「対話」のことを英語では「ダイヤログ」と言いますが、日本語の対話は、実は言語学用語で「共話」と言うんです。というのは、日本語は主語が曖昧ですから、能の作品でも、登場者のセリフが入れ替わるという場合がたくさんあるのですが、「羽衣」では、流派によって主人公(シテ)の天女のセリフを漁師(ワキ)が言うことがありますが、それでも舞台は成り立ちます。まさに対話ならぬ「共話」です。能の舞台では、誰の言葉かが曖昧でも成立するのです。思いが共有され、やがて個人を離れて風景として謡われる。そこに日本語の奥深さがある。

白駒 私が最近残念に思っていることは、学校の国語の授業でも「論理的な思考」が大事だということで、古文と漢文の授業がどんどん減らされていることです。志や心の種がしっかり育っているからこそ、その土台の上に論理的な思考が身についていくのであって、その逆ではないと考えています。日本全体で古文や漢文を学ぶ意義を見直す必要がありますし、ハウツー本ばかりではなく、古典の名著に触れる機会をもっと増やしてほしいですね。

だが現代では、論理性ばかりが重視され、古文や漢文が削られている。志や心の種が育つ前に、思考だけを求めている。順序が逆なのだ。土台なき論理は、やがて空洞になる。

だからこそ、古典に触れ、ハウツー本ではなく、名著に出会え。
そこにこそ、人を人たらしめる言葉があるのです。

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人間学を探究して四十七年|総合月刊誌定期購読者数No.1|致知出版社

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