伊勢神宮で1300年にわたり繰り返されてきた式年遷宮。20年に一度造り替えられるこの行事は二つの正宮の正殿をいったん壊して、そっくり同じものを新しく建て替える。それだけでなく14の別宮のすべてに加え、関連する65練もの建造物、果ては内宮の参道口かかる宇治橋から、社殿内を飾り立てる宝飾品や服飾「御装束」、武具や楽器などの調度の品々である「神宝」まですべて一新する。なぜこのようなことを繰り返すのか。壮大な先人の深い考えの謎に迫る。
緻密に計算されたデザイン
式年遷宮の最初の式典は、社殿の建設用の用材を切り出す儀式からはじまります。膨大な量の木材が必要になるのですが、この日のため、100年後、200年後のために計画的に植樹された木材を使用します。20年のサイクルも一生のうち、最初は見習いとして遷宮を経験する中で先達から技術や知識を受け継ぎ、20年後の熟練に達したときに、今度は自分が技術や知識を後世に伝えていく役割を担うようになっています。すなわち式年遷宮という一大イベントを起こすことで、技術と文化を継承する人材と雇用を連綿と生み出していく仕組みなのです。
最後はお札となり人々に支えられる
それだけではなく、解体された社殿に使われた木材は、全国の伊勢神宮分社の建築物にリサイクルされるのです。伊勢神宮は、天照大神を御神体とする御鏡を祭る場所であり、言うなれば神社の中の神社である。その社殿に使われていた木材を分けていただくことは、全国の分社にとって、とてもありがたいことでした。さらに再利用された木材も、いつか朽ちて建て替えられるときがきます。そのときも、捨てられるのではなく細かく切り刻まれお札になって人々の心の支えになっていくのです。
日本国家の基礎をつくった天武天皇
斎宮の形式を確立し、式年遷宮の仕組みを創ったのは天武天皇でした。古事記の編纂を指示し、神道と仏教を融合したのも神武天皇であり、日本の国家の基礎のほとんどを創った人である。それまで有力豪族が入り乱れて権力争いをしていた時代を終わらせ、朝廷のもとに国家を統一していく大業を成し遂げるため天皇の世が幾千万年も続くためのグランドデザインを描いて見せてたのです。先人の知恵や伝統を軽んじた民族は必ず滅んでいるという教えを守り伝えたからこそ、日本は発展することができたのであり、日本の国づくりにおけるソーシャルデザインの原型なのです。
<レビュー>
日本ではデザインというと、可視化の表現力、プレゼンテーション能力など、「狭義のデザイン」と認識することが今だに主体である。デザイナーに対する評価も、この枠を離れられないでいます。それに対して「広義のデザイン」であるプロデューサー型のデザイナーとは、時代を読む先見性と分野を超えたトータルな見識、コアコンピタンス(企業内部で培ったさまざまな能力のうち、競争のための手段として最も有効なもの)を見極め、またその会社にない能力に対して外部資源を調達する力と著書では説明しています。
アフリカではマラリアが毎年60万人発生し、乳幼児の五人に一人が亡くなっていた現状を阻止しようと国連機構や現地NGOが殺虫剤を塗り込んだ蚊帳を買い上げ無料で配り、マラリア感染が3〜4割減少した。ところが数年すると、状況は一変する。新しい蚊帳がほしいといっても、寄付ベースなので追加ができず、殺虫剤の効果がなくなり補修したいと思っても、補修材料がない。しかも性能が良い蚊帳が大量に寄付されたために、誰もお金をだして蚊帳を買わなくなり、地元にあった蚊帳メーカーもつぶれてしまっていたのです。近視眼的に拙速な解決策に走り、社会問題の解決という視点を持たなかったために、かえって状況を悪化させてしまいました。
ソーシャルデザインに期待されるのは、経済原理にかなう仕組みを構築し、持続可能な営みを実現する未来も見据えた視点が必要なのです。
<目次>
1 ソーシャルデザインとは何か?
人生設計も、企業経営も、国づくりも、全部デザインだ
2 「ソーシャルデザイン」で日本は変わる
日本人にとってのデザインとは?世界を魅了する文化を持ちながら発信が下手な日本
3 32のソーシャルデザイン