筆者は人生どん底、職、家、嫁を失い、実家に戻ってふとんから出られない日々。虚無感から抜け出したい一心で西洋哲学を読みニーチェに行き着くも、よけいにこじらせそうな予感。最後に東洋哲学にたどり着いたのでした。特にインド哲学に影響を受け、虚無感から救われたのです。そんな東洋哲学を、筆者が学者でも僧侶でもないからこそ、「哲学エッセイ」としておもしろおかしく完成できたのだと思います。騙されたと思って一度読んでみてください。
自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学 [ しんめいP ]
最強の哲学者ブッダ
ブッタは「人間」でありインド人です。神ではありません。そんなブッタも虚無感に悩んで生きていました。ところがブッタの何がすごいかというと、虚無感を完全に解決してしまったのです。もともと王子で頭も良く、家族にも愛され誰もが羨ましがる暮らしをしていたブッタはすべてを捨てて自分探しの「出家」をしてしまいました。いわゆる「ホームレス」です。
苦行で死にかける
当時のインドは人生を修行だけに捧げるプロがたくさんいました。ブッタも苦行に取り組み6年の歳月が過ぎましたが「本当の自分」がぜんぜんみつかりません。50年以上苦行している人がザラな世界では、たった6年です。しかしブッタは革命的な考えに行きついてしまいます。「もしかして意味ないんんじゃね・・?」
無我の境地に達する
死にそうなブッタに近所のギャルがおかゆを持ってきてくれたのです。ふつう断食している人にごはんをあげるのは失礼であり、苦行に打ち込んでいるのにおかゆを食べてしまったら努力が無意味になってしまします。しかしここでブッタは重大な選択をしたのです。「おれ、おかゆ、食う」ブッタは体力と気力が戻り、そのまま大きい木の下で瞑想をしたら、悟りを開いてしまったのです。「本当の自分」の答えがないのではれば、その答えは「無我」だったということ。自分とか、ないのです。
どこに「自分」があるのか?
ブッタはこういった。「自分」とはただの「妄想」。本当はこの世界は、全部つながっている。よく観察すればわかる。
人間のからだの細胞はつねに入れ替わっていて3ヶ月で大体入れ替わっています。外見は変わらないように見えても物質的には10年前の自分と今の自分ではまったくの別物である。ようするに自分のからだは、食べたもの、つまり「自分以外」のものからできている。ということは循環していて、全部がつながっている。だから「これが自分」といえるようなものはひとつもない。これだけではまだまだ???の状態だど思いますが、安心してください。あれやこれやの例えで本書は解説しています。
<レビュー>
どう生きればいいか東洋哲学には答えがある
よく哲学は答えがないといわれますが、東洋哲学には答えがあるのです。しかも心が楽になるための哲学なのです。そう劇薬です。この本はそんな哲学者、「ブッタの無我」「龍樹の空」「老子と荘子の道」「達磨の禅」「親鸞の他」「空海の密教」の7人を筆者のおもしろい視点で論理的にわかりやすく解説しています。
自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学 [ しんめいP ]