まずは生きてみること

歴史・哲学の本

2025年致知1月号
<特集 新年を迎えるに思うことより>後藤俊彦
わが国は「豊葦原瑞穂国」とも称して、稲作が国の文化をつくり、国家・社会の平和と繁栄の基とも言われてきました。「農は国の基」という言葉もある通り、国家とわが国の人々の生命を守り、繋いできたものが農業であり、稲作の担う役割は大きかった。農耕生活は開墾や自然災害との戦いでもあり、自ら共同体を形成し、その中心となったのが神社であり、神社は発生当初から公的性格を帯びていた。欽明天皇十三年(西暦五五二)に仏教が伝来したが、仏教は個人の悟りや死生観などを通して国民の間に浸透し、神道は自然崇拝を基として五穀の実りや国の安寧を祈る共同社会の信仰としての役割を担いつつ、神道と仏教は習合していきました。
また、わが国には大事な精神性として、”皇道”と称してもよい、より高い論理・道徳で、それを実践してこられた日本の王室の存在があります。古く奈良時代には天皇について、”天下知食天皇”と表現している。「しろしめす」とは「知事」という言葉があるように知ること、知悉している意味です。決して封建領主による支配ではありません。神武天皇は日本全体を一つの家族国家として高い理想をもって建国されました。その後の御歴代の天皇やその皇子たちも全国を巡幸しつつ、国情を知ることに努められている。これは皇祖神である天照大神の国と国民を慈しみ、案ずる御心を継承された天命であり、それを”皇道”と称しました。
現実はどんなに暗く絶望的に見えても、私たちは将来に自信と希望を失ってはならないと思う。こんな素晴らしい志の国に生まれたのですから、個々の人々が高い理想をもって新しい年へと踏み出そうではありませんか。

何が人を大成に導くのか
池森健二 鳥羽博道
池森 ファンケル創業したのは、化粧品トラブルで苦しんでいる人を助けたいという一心でした。儲けたいとう野心はありませんでした。借金を返し終わって安堵して女房の顔を見たら、肌が荒れていました。どうしたんだと聞いてみると化粧品が合わないという回答。それがきっかけなんです。知り合いに皮膚科の先生と化粧品の技術者がいたので相談したところ、原因は防腐剤などの添加物だと。しかし、無添加の化粧品は日持ちせず、傷んだ化粧品を使うほうが却って肌に悪いから仕方がないと言うんです。添加物を入れないと何日で傷むのか聞いたら、ほぼ1ヶ月は持つということ。試しに無添加の化粧品をつくってもらうと女房の肌荒れは改善し、肌荒れをしていたクリーニングのお客様からも好評でした。それで小さな容器に密閉して消毒し、開封しなければ三年持ち、開封したら一週間以内に使い切れる商品を考えました。
鳥羽 あるゴルフ場に「働き一両、考え五両」と書いてありました。一の働きは一の成果にしかならない。しかしアイデアを持って一の努力をすれば、五の成果が上がることだと思いました。ドトールコーヒーがヒットしたのもまた然りです。オイルショックの影響もあり、サラリーマンを助けたいという思いから、フランスで見た立ち飲みとテーブル席でそれぞれ違う値段の喫茶店をヒントに、ブレンドコーヒーを一杯百五十円で販売。毎日飲んでもお客様の負担にならない価格という考え方で設定しました。そのため、全自動抽出コーヒーマシンや食器洗い機、パンやソーセージを焼く機械などを機械化し、素人でも仕事が回せる仕組みをつくり上げたのです。また、フランチャイズのロイヤリティーも、他の大手チェーンが7%に設定している中、3%に設定し、経営しやすさも考慮しました。

日本の先達に学ぶ人間学
小川榮太郎 新保祐司
小川 日本では戦後、様々な精神的な破壊が行われましたが、その一番の病根は近代個人主義を無条件に取り入れたことだと思います。例えば、戦後、教育現場に配られた「新しい憲法の話」という本。そこでは基本的人権とか国際平和主義、主権在民ということを「これがこれからの国柄だ。日本人の生き方だ」と教えています。日本人の精神的なバックボーンをすべて否定して、政治文書にすぎない憲法を人間のあり方の基本にしてしまった。そこには歴史も共同体意識も修養もない。「人が人になるとはこういうことだ」という教育を疎かにしてしまいました。
そして、近代個人主義によって欧米もいまや大きく崩れてきています。キリスト教の教えと個人主義が拮抗している間はよかった。ところが、キリスト教という心の砦が急速に消えつつある。代わりに人権至上主義が台頭してきた。いわゆる「リベラル」です。人権というのは互いに権利を主張し合うのですから、精神的バックボーンや節度がないと、社会を分断し足場を崩してしまうのです。
新保 大正デモクラシーの立役者である吉野作造は、民主主義の根幹はキリスト教だと言っています。日本は深く考えないまま民主主義を謳歌してきたことも、今日の混乱の一因だと思われます。
明治人の修養ということで言えば、国木田独歩に「非凡なる凡人」というすばらしい小説があります。青年が中村正直の「西国立志編」を子供の頃から読み続け、就職した後もこの本を精神的な支えに黙々と努めを果たしていく。本は読み込むうちに綴じ紐が切れ、新しい丈夫な紐で綴じ直すんですが、それ自体が僕は修養だと思うのです。凡人を「非凡なる凡人」にするのが修養であり、修養の先にあるのが、「非凡なる凡人」なのではないでしょうか。当時は限られた書物を読む以外になかったし、その書物に込められた深い意味を掴んでいった。周辺的な情報ばかり見ようとするのではなく根本を掴む。そういう読書を復活させたいものです。
新保 心に留めておきたい内村艦三が当時二十代の若主任に宛てた「成功の秘訣」
一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
一、本を固うすべし、然らば事業は自づから発展すべし。
一、急ぐべからず、自働車の如きも成るべく徐行すべし。
一、成功本位の米国主義に倣うべからず、誠実本意の日本主義に則るべし。
一、濫費は罪悪なりと知るべし。
一、能く天の命に聴いて行ふべし。自ら己が運命を作らんと欲すべからず。
一、雇人は兄弟と思ふべし。客人は家族として扱ふべし。
一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。
一、人もし全世界を得るとも其霊魂を失はゞ何の益あらんや。
  人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり。

致知は読むには書店では売っていないので、定期購読が必要です。

『致知』のお申込み|致知出版社
人間力を磨きたいあなたの手元に「致知」を毎月お届けします。
タイトルとURLをコピーしました